2016年10月28日

仕事を辞めようか悩んでいる人たちへ

2週間ほど前に公開した、わたしの過去に関する記事なんだけど・・・新卒入社2ヶ月で正社員を辞めたわたしの話をしよう

この記事、ものすごくたくさんの方が読んでくださっているようで、自分でもちょっと驚いています。

Twitterでも拡散してくれる人がちらほらいらっしゃって、しかも心が軽くなったと言ってくれる人もいて、本当に書いて良かった・・・

ただ、その一方で、仕事を辞めようか迷っていたり、仕事を辞めてからも悩んでいたり、わたしのように新卒入社後ほんの数か月で退社したことを気に病んでいたりする人が、た〜くさんいるんだな、ということも感じたよ。

忘備録のように、取り留めもなくばーっと書いたあの記事だけど

今でもわたしはあの会社を辞めたこと、1ミリも後悔していません!笑

というか、もし自分があの会社で働き続けていたら・・・と考えると、ゾッとする。

だって、きっと今、ポーランドにいないだろうし、もはやこの世にすらいなかったかもしれないから。


仕事を辞めた後、自分のことを恥ずかしく思ったこともあった。

「たったの2ヶ月で正社員を辞めた。大学を卒業したのにフリーターになった。」

このふたつがどうも引っかかってしまうことも、そりゃ時々あった。

でも、そんな時はいつもこう思うようにしてた

「もういいじゃん。わたしは社会のレールを外れたの。それをもっと楽しもうよ。親は泣くかもしれない。でも、もしわたしの親の望むとおりに生きるとしたら、わたし、銀行で働いて、早慶上智レベルの男性と結婚して、ずっと日本に住んで、子どもを産まなきゃならない。そんなの嫌だよね?笑」

うん、そんなの嫌。笑

今は親の望む生活からはかけ離れた生活をしているけど(笑)、毎日幸せだし、日本にいた時は見つからなかった夢を見つけることができた。嬉しい



あ、そうそう。

きっと仕事を辞めたくても辞められない人は、こう思ってる人も多いんじゃないかな?

「わたしが辞めたら誰がこの仕事やるの?今辞めたらものすごく迷惑じゃない?せっかく大学出たのに、せっかくようやく見つけた就職先なのに、もし辞めたら今後わたしの人生どうなるの?」

うん、確かに、会社に何も連絡せずに突然飛んだりしたら、迷惑はかかるよね。笑

でも、飛びたくなる気持ち、すっごくわかる。

上司に「辞めます」って伝えるの、ものすごく勇気がいると思う、というかわたしもそうだった。

ぜーったいに「2ヶ月で辞めるとか、おまえふざけてんの?」ってものすごく罵倒されると思ったから。

だから、上司に「あの・・・この後お時間大丈夫ですか?お話があるんですけど・・・」と伝えた時、心臓が飛び出そうで、もうその時点でなんだか泣きたい気分だった。

そして、ついに「辞めたいです」と伝えた時、上司は思いがけない反応だったの!

「・・・そうか。お前はそれでいいのか?」

彼は静かにそう聞いてきて、そしてわたしが今どうしたいのか、何がしたいのか、という話を真剣に聞いてくれて・・・

最後に彼がぽつりとひとこと。

「お前、良い奴だな・・・ずっと、そのやりたいこと、我慢してここで働いてたのか」

その言葉を聞いた時、ほんの一瞬だけ、その職場を去る決意をしたことを後悔した。

だって、わたし、本当に理解のある人のもとで働いてたんだ・・・って実感したから。

だけど、それはそれ、これはこれ、だよね。笑

良い人のもとで働いてたんだって気づけただけでも良かった。

他の上司も「辞めるって決断は、なかなか難しい。若かったらなおさら難しいと思う。みんな!ここまでズバッと辞める決意をした彼女にエールを送ろう」って言ってくれて。

わたしの場合、本当に運が良かったと思うし、あとちょっと話を盛ったのが効いたかな(笑)




仕事を辞めた後も、大変なことはあるし、いろいろ言われることもあると思う。

でも、そんな時こそ、自分の好きなことをたくさんやって、それまでやりたかったけどレールに乗っかってたせいでできなかったことにも挑戦してみるといいかも。

そうすれば、自分の選択は間違ってなかったんだな!って思えるようになるはず



なんだか、ぐだぐだな文章で読み辛くてごめんなさいね!笑

あんまりみんなの参考にならないかもしれないけど、今、いろいろと悩んでる人の助けになれたらなぁ・・・って思って書いてます。

また、この記事を読んで、少しでも心が軽くなる人がいてくれたらなぁ。

このブログを始めたきっかけもそうだったから。

わたしの日常や過去のことを知って、「え、何!?こんな人間でも世の中生きてくことができるのね!しかもなんかこの女、妙に楽しそうじゃん!なんだ、自分もそんなに思い悩むことなんかないんだな!」ってほっとしてくれる人が増えたら嬉しいなって。

わたしだってもちろん悩むことだってあるし、基本根暗だから「わたし、ほんと友達いねーよな・・・ていうか、海外来てから余計根暗になってるよな・・・ていうかわたしって内弁慶だよな・・・だせーよな・・・」とかぶつくさ一人で沈んでることもあるよ!笑

だって一応、わたしも人間だもの!笑

そんな時は、大好きなブラックメタルを聴いたりライブに行ったりして悩みを発散するのさー!



余談なんだけど、「ポーランドで、仕事が辛くて死んじゃう人っているの?」ってZ氏に聞いてみたら、

「え?仕事が見つからなくて死ぬんじゃなくて?仕事があるのに自殺しちゃうの!?」って驚かれた!笑

世界的に、というか、ポーランドからすると、過労死ってかなり特殊なケースなんだろうね!

この国は、仕事が見つからなくて困ってる人もいっぱいいるみたいだから・・・

(あとね、ポーランドでは飛び込み自殺は無いって。電車のスピードが遅いから飛び込んでも死ねねーよって言ってた


うん、そんな感じ!

みんな、あんまり頑張りすぎないでね!

もう何もかも嫌になったら、ポーランドに遊びに来るといいよ、お酒安いし!笑

じゃーね



【Facebook】
https://www.facebook.com/MetalmaniaSAYUKI/

【Twitter】
https://twitter.com/MetalSayuki

【My shop】
https://suzuri.jp/Metal_Mania_Sayuki


気に入ったらクリックして応援してね!

にほんブログ村 恋愛ブログ 国際恋愛(ヨーロッパ人)へ
にほんブログ村

posted by ざれうすか at 18:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月16日

新卒ブランドを捨ててフリーターになったら、夢のような毎日が待っていた

今までの話はこちら。
新卒入社2ヶ月で正社員を辞めたわたしの話をしよう
新卒2ヶ月で仕事を辞めたわたしの、就活から社会人スタート前日までの話


そんなわけで、入社2ヶ月で正社員を辞めたわたし。

朝早く起きる必要もないし、スーツを着てメイクをして電車に乗る必要もない。

仕事から解放されてとても幸せな気分だったものの、頭をかけめぐる思いはただひとつ。

「わたし、これからどうしよう」

新卒ブランドを自らの手で、しかもたった2ヶ月で捨ててしまったわたし。

今思うと、新卒ブランドってなんだよ、アホらしwwwとしか思えないんだけど(笑)、

当時は「どうしよう・・・もう社会復帰できないのかな・・・」とぼんやり考えてしまっていた。

とは言うものの、早々に新卒ブランドを手放したことで逆に気が軽くなって、

「もう社会のレールを外れてしまったようなもんだから、今度は給料や雇用体系のことは気にせず自分の好きな仕事、興味のある仕事をしよう!」

と開き直ることができたのも事実。

早速、街に出て興味のある場所に行ってみた。

フェティッシュなコスチュームが売っているお店や、バンドTシャツが売っているお店、とにかく自分の好きなものが売っているお店に行ってみた。

一通り、いろいろなお店をまわったもののいまいちピンと来ず・・・

まぁこのまま帰るのもなんだからと、ついでに高校時代から通っていたCD屋さんに立ち寄った。

すると、そのお店の壁に求人広告が貼ってあった。

『・・・ここで働きたい』

すぐにビビビッと来た。

小学生の頃からマニアックな音楽が好きだったわたしは、類まれなる品揃えを誇るそのお店で働けたら、もう天国なんじゃないかと思った。

そもそも、大好きな音楽にかかわる仕事ができたら、もうそれ以上の幸せなんてない、と。

しかし気になる時給は800円代。

とりあえずその日は帰宅し、ネットで改めてそのお店の求人を調べてみた。

すると本社でもアルバイトを募集していた!

これは・・・面白そう!!

世界中の音楽を日本のみんなにつなぐ仕事だった。

こんなチャンスなかなか無い!と思い、時給には目をつむることにした。

暮らしていけないなら、副業をすればいいし。

そして、すぐに面接志望の連絡をした。


電話口でその部署のリーダーに「好きな音楽は何ですか?」と聞かれ、

「ブラックメタルと・・・クラウトロックです」と答えると、

「なかなか渋い趣味をお持ちで!笑」と言われて、すごく嬉しかったのを覚えている。

嬉しい・・・

こんなこと聞いてくれて、こんな風に返してくれる職場って他にある?と、わたしは有頂天だった。


数日後、面接に行った。

ただ、実は同じタイミングで便利屋の面接も受けていた。笑

何で便利屋かっていうと、単純に面白そうだったから。

こちらは社員募集だったものの、面接をしてくれたわたしと歳の近い女性従業員がとても理解のある人で、面接中もずっとわたしの前の会社での話を一生懸命聞いてくれた。

こちらは面接してすぐに採用になったものの、もうひとつ結果待ちの面接があるので待ってもらえますか?と無理を言ってお願いをした。

すると彼女は、「大丈夫ですよ。そちらの結果が出るまでお待ちします。それと、もしまた正社員として働くのに抵抗があるなら、まずは契約社員から始めても良いですよ」という配慮までしてくれたのだ。


結果的に、音楽会社のバイトの面接にも受かり、わたしはそっちを選んだ。

給料は少なくても、とにかく大好きな音楽に少しでもかかわりたいという思いが強かったから。

出勤一日目、大好きなバンドTシャツを着て出勤した。Bathoryだったかな。

「うわ!バソリーなんて着てるの!?」とツッコんでくれる従業員がいることにものすごく感動したのを今でも覚えてるよ。

とにかく毎日毎日メタルに限らずいろんなジャンルのCDやLPに囲まれて仕事ができて、もうそれだけで幸せだった。

自分の音楽に対する見聞がどんどん広がって行くのもたまらなくワクワクした。

服装も髪型も自由なので、仕事に着て行く用にバンドTシャツをアメリカから大量に買ったりもしたな。

黒のショートカットだった髪型を思いっきり刈り上げて気合の入ったモヒカンにしたり、赤や青や緑に染めたりもした。

しまいには坊主にして同じ部署のみんなに大笑いされたけど、すぐに「頭の形めっちゃキレー!!見惚れるんだけど!」って言ってくれたりして、楽しく坊主ライフが送れた(笑)

さらには、大好きな海外のバンドのライブをヨーロッパまで観に行きたい、だから休みが欲しいと言った時、

「も〜!何言ってんの〜!(笑)仕方ないなぁ〜。そのバンド好きでしょうがないんでしょ?

いいよ、気を付けて行っておいで」

とリーダーに言ってもらえた日には、もう小躍りしてしまったくらい。笑


本当に本当に心の底から転職して良かった、と思った。

ここで働き始め、新卒ブランドを捨てたことには一切の後悔も生まれず、「わたしはなんて最高の選択をしたんだ〜!!」と自分で自分をほめまくった。

今でも強くそう思ってる。

あの時、あのタイミングで正社員を辞めていなかったら・・・給料を気にして音楽会社でアルバイトしていなかったら・・・

わたしはたぶん、今ポーランドにいない。

それどころか、この世にいなかったかもしれない。



正社員の仕事を辞めたいと思い始めた時、わたしのまわりの人の大半は反対しかしなかった。

でもそのとき反対してきた人たちは、わたしが新しい職場で生き生きと楽しそうに働いているのを知って、手のひらを返したように、

「やっぱり今の仕事は天職かもね!」「営業職は合う、合わないがあるからね!転職して正解だったね」なんて無責任に言って来た。

どうでもいいんだけどさ(笑)

だから、このブログを読んでくれているあなたが、

当時のわたしのように仕事を辞めたくて仕方ないとしたら、

ごちゃごちゃ心無い心配をしてきたり、余計なお世話な反対意見を押し付けてきたりしたら、

そんなのは全部かる〜く受け流していいと思うよ。

本当にあなたのこと思って言ってる人なんて、案外いないから。


かと言って、フリーター最高だぜ!やべーよマジで!自由だよ!!お前も早く仕事辞めちまえよ!と言っているわけではない。

もしあなたが今の状況に疑問を抱いているのなら、環境を変えるのもありなんじゃないの、って。

ただ、人からは色々言われるよ。

わたしだって正社員を辞めた時、「この根性なしが!」「せっかくそこそこいい大学出たのにもったいない」「親がかわいそう」などなど。

でもそう言われたときは、真に受けずに、

「あはは〜、バカでしょあたし〜!ほんとつくづく親不孝な娘だよねっ!こいつが俺の娘じゃなくて良かったって思ったでしょ〜!」

と適当に返しておけばいいんだよ。笑

とにかく今の生活を精一杯楽しんで。

そうすれば、最初はぶつぶつ嫌味を言っていた人も、いつの間にか味方になってることもあるよ。



気に入ったら、クリックして応援してね!

にほんブログ村 恋愛ブログ 国際恋愛(ヨーロッパ人)へ
にほんブログ村

posted by ざれうすか at 22:37 | Comment(4) | TrackBack(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新卒2ヶ月で仕事を辞めたわたしの、就活から社会人スタート前日までの話

新しい職場で働く話の前に、わたしの就活から仕事が始まるまでの話しておくね。

前回の話はこちら→新卒入社2ヶ月で正社員を辞めたわたしの話をしよう


就職率の高い女子大に入学して、まわりの人が当たり前のようにやっているからと、わたしも必死で就職活動を始めた。

最初は興味のある映画関係の会社等に履歴書を送ったけど、どこも一次面接止まりだった。

そのうち、自分が何をやりたいのかもよくわからなくなってきて、とりあえずほんの1%でも興味のあった会社に履歴書を書いて、トータルで100社以上に送った。

そして大学四年生の7月、広告関係の会社から内定をもらった。

その時は、とにかくその会社から内定をもらったということより、就活から解放されることが嬉しかった。


社会人生活が始まる数週間前に、お父さんの車に荷物を乗っけて、東京のアパートに引っ越した。

大学も東京だったけど、東京で一人暮らしするのは初めて。

幼い頃から憧れていた東京での一人暮らし。

だけど、お父さんとお母さんと弟が車でアパートを去ってしまった時はすごく悲しくて。

ただ、泣いてしまったらそれこそ止まらなくなってアホのように大泣きしてしまうと思ったから、

気を紛らわすために、夜は高校時代の同級生と、林由美香のドキュメンタリー映画『監督失格』を観に行った。

映画を観た後、なおさら悲しい気分になってしまった。


社会人生活スタートの2日前、お母さんがわたしのアパートに遊びに来た。

その日は、わたしのお気に入りのゲイバーと、新宿二丁目のロックバーに連れて行った。

田舎出身で夜遊びなんてほとんどしたことのないわたしのお母さんは、わくわく嬉しそうで、

「大学生の頃からこんなところで遊んでいたの!?ちょっとうらやましい・・・」だって。

二人揃って終電でアパートに帰って、小さな一人用の布団で二人で眠った。


翌日、いよいよ明日から社会人生活がスタートする日。

お母さんと駅に一緒に行って、レストランでステーキを食べた。

明日から社会人になるということに恐怖しか感じていなかったわたしは、その時点でもうすでに泣きそうだった。

それまで彼氏の家に転がり込んで家に帰らないことはあっても、実家から離れて一人暮らしするのは初めてだったから、一人の生活に耐えられるのか、ということも恐怖心をあおっていた。

ただ、お母さんに心配されたら、「やだ!わたし社会人になんてなりたくない!家に帰りたいよ!!」と泣きながら本音を言ってしまいそうだったから、一生懸命明日のことは考えないようにして、ステーキに集中した。

そんな時に、会社のお偉いさんから携帯に電話がかかってきた。

急いでトイレに駆け込んで電話を取ると、「明日〇〇時にどこどこに集合でお願いします」といった内容だった。

電話を切った途端、『ついに・・・ついに明日から・・・』とそれまで必死に考えないようにしていた明日のことを思い出してしまい、涙がこぼれそうになる。

でも泣いたらお母さんにばれちゃう・・・必死に上を向いて涙がこぼれないようにした。

席に戻ってからは、食欲なんてなくて、ステーキも全然美味しく感じられなかった。


レストランを後にすると、パン屋さんの前を通りかかった。

わたしは小さい頃からパンが好きで、よくお母さんはわたしにパンを買ってくれた。

その日もお母さんは「パン買ってあげようか?」と聞いてきた。

わたしは、お母さんに買ってもらったパンをアパートに戻ってひとりで食べる姿を想像したら、とてつもなく悲しくなってしまって、

「ここのパン屋さん、高いからいらないよ。」と断った。

そして、お母さんを駅の改札まで見送った。

「じゃあね。頑張ってね」と、別れ際にお母さんは手を握ってくれた。

「うん、頑張る」

お母さんがわたしの手を放して改札に向かった途端、わたしは勢いよく彼女に背を向けて、声を押し殺して泣いた。

ぼろぼろ涙があふれてくるもんだから、振り返ることもできなくて、わたしは早歩きでアパートに帰った。

暮らし始めて数週間の、がらんとした生活感のないアパートの部屋に帰ってから、わたしは声を出して泣き続けた。

すべてが恐怖と絶望でしかなかった。

お母さんも帰ってしまった。

それまで好き勝手楽しく生きていたわたしの人生がここで終わる。

もう今までの楽しい生活は二度と送れない!!


翌朝、ほとんど開けられないくらいに目が腫れていた。


(つづく)



気に入ったらクリックして応援してね!

にほんブログ村 恋愛ブログ 国際恋愛(ヨーロッパ人)へ
にほんブログ村

posted by ざれうすか at 05:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月15日

新卒入社2ヶ月で正社員を辞めたわたしの話をしよう

ちょっと今更感はあるかもしれないけど、電通の社員さんの過労死の記事をここ数日いろいろと読んでいる。

「彼女はかわいそうだ!」と過剰に亡くなった彼女のことをかばいまくる人たちにも違和を感じるし、

かといって、彼女の知り合いでもなく、彼女のことは何も知らない人が「なんで逃げ出さなかったんだ」と頭ごなしに否定する意見を見るのも嫌だ。



今回の事件で、自分の過去のことを思い出した。

わたしは、今でこそこんなにのほほんとしているものの、大学を卒業後は正社員として「体育会系」の会社に入社して働いていた。

とにかく実践重視で、自分で仕事を覚えろ!というスタイルのその会社は、入社1ヶ月後には一人で営業に行かされて、日ごと、週ごと、月ごとのノルマも課される。

そして、定時になると上司が新入社員ひとりひとりに、その日のノルマがなぜ達成できなかったのか問い詰めてくる。

もちろん10分、20分では終わらない。

時には数時間に及んだ。

その後も終わらなかった仕事をして、帰るのは22時なんて当たり前。

残業代は、無し。

朝は、始業時間の1時間前に会社にいなくてはならない。

家に帰ると午前様。

しかし上司から「おまえ、あの書類ちゃんと記入したか?」と電話がかかってくる。

落ち着いてる暇なんてない。

夜中にかかってきた上司からの電話を切った後に、なんだか今の自分が置かれている環境が怖くなって声を出して大泣きしたのを今でも覚えている。

入社して1ヶ月半たった時、いつものように重たい荷物を小脇に抱え、リクルートスーツにヒールで、営業に行った。

気づいたらわたしは、地面に座り込んで声を出して大泣きしていた。

車が通る車道のすぐ隣の歩道に座り込んで。

はたから見たらおかしいのもわかっていたけど、自分では止めることができなかった。

たったの1ヶ月半しかたっていないのに・・・なんでわたしは頑張ることもできないの?なんでほかのみんなは頑張れるの?わたしって意気地なしなの?こんなわたし、どこの会社からも必要とされないよね?

頭の中がそんなネガティブな考えでいっぱいになってしまった。

でも、死にたくはなくて・・・

もう嫌!自分のことこんなに嫌いになるくらいならこんな仕事したくない!わたしがわたしじゃなくなっちゃう!(←林由美香の名言)

と思ったわたしは、翌週には営業で外出したふりをして公園に行って、退職届を書いた。



仕事を辞めて無職になった一日目。

確か親に電話したっけな。

「あ、仕事辞めたから」

お母さんは泣いてた。

「それなら実家に帰っておいで。東京でひとりでやっていけるの?」

と心配もしてくれたけど、憧れてやってきた東京での一人暮らし生活をたったの2ヶ月でやめたくはなかったから、

「大学のときに貯めたお金があるから大丈夫!わたしはどうにかやってくよ!」と気丈にふるまった。

実際、数か月はのらりくらりと暮らせるお金はあった。

お金貯めるの好きだったから。笑

無職一日目は天気も良くて、すごくすがすがしい気分で、久しぶりに布団を干した。

そして、めいっぱいおしゃれをして、学生時代にお世話になっていた新宿二丁目のバーにふらっと行ってみた。

「〇〇!(マスターの名前)わたし・・・仕事やめちゃった!」

「はぁ!?もうやめたの!?ははは、お前らしいな!やりたくなかったんだろ、その仕事?」

やだこの人、わたしのことわかってる・・・って泣きそうになった。

そして、バーカウンターで隣同士になったおじさんが、

「どんな仕事もね、合う、合わないがあるんだよ。まわりの人からはいろいろ言われるだろうけど、僕は仕事を辞める選択をした君は立派だと思う。もし今やりたいことがあるなら、それを明日にでもやったらいい」

そう言ってくれた。

後日、大学時代からわたしの働く飲み屋に遊びに来てくれていたお客さんは、わたしをご飯に誘ってくれた。

「今は怖いと思う。僕も無職だった期間が1年近くあったからよくわかるよ。でも、どんな経験もマイナスになることはないんだよ。今は怖かったり辛くても、無駄になる経験なんてないんだから」


わたしはなんて素敵な大人たちに恵まれていたのだろうか。

自分が根性なしで小心者な糞野郎ということは自分が一番よく知っていたから、あえてわたしをけなさずに励ましてくれる人が多いことが嬉しかった。

もちろん厳しい言葉をかけてくる人もたくさんいたが・・・


1ヶ月後、わたしは新しい職場でワクワクしながら働き始めた。


(つづく)



気に入ったらクリックして応援してね!

にほんブログ村 恋愛ブログ 国際恋愛(ヨーロッパ人)へ
にほんブログ村

posted by ざれうすか at 05:57 | Comment(1) | TrackBack(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月05日

これは一種の呪いか運命か?

この間、夜どうしても眠れなくてぼけーっと昔のことを思い出していました。

それはわたしが中学生の頃、隣町でバンドをやっていた10歳年上のお兄さんと文通をしていました。

彼は、ヴィジュアル系バンドでドラムをプレイしていたのですが、いつも穏やかな物腰で、自分のことを「僕」と呼ぶ育ちのよさそうな人でした。

そうそう、わたし、ギリギリ平成生まれなのですが、文通大好きだったんですよね〜

あの頃は、学校から帰ってきてポストを開けるのと、郵便屋さんのバイクが庭に入ってくる音を聞くのが、何よりもの楽しみでした



わたしは、そのお兄さん以外にも、音楽の趣味繋がりでたくさんの文通相手がいたのですが、お兄さんは本当に特別な存在でした。

わたしは彼のライブを観にいった直接話したり、他愛もない内容の手紙交換をしているうちに、どんどん彼に惹かれていきました。

そして、ある日、勇気を振り絞って手紙で告白をしました。

すると、

「そういう風に言ってもらえて、すごく嬉しかったよ。本当にありがとう。でも僕は・・・君からしたらおじさんだから・・・君のことは、本当に良い子だと思うし、可愛いと思うけど、君はまだ若いから、僕と付き合うなんてもったいないよ」

と、かなり遠まわしにフラれました。



その後、高校に進学し、友人に誘われて軽音楽部に入りました。

しかし、わたしはベースを担いで往復20キロの道程を自転車で通学するのが辛くて、すぐに幽霊部員になったのですが(楽器が部室に置いておけなかったんですね・・・)、1つ上のドラムをやっていた先輩に憧れていました。

彼は決してカッコいいとは言えないのですが、まるで布袋寅泰のような高身長で、それでいて物腰が柔らかく優しくて、わたしは恋に落ちたのです。

がしかし、先輩が優しかったのは最初だけで、そのうちわたしのストーカーのような付回しにほとほと愛想が尽きたようで、最終的には無視どころか完全に避けられるようになりました。

彼の卒業式に、勇気を振り絞って自転車のかごに入っていた上履きをもらおうとしたら、本気で嫌そうに「いや、マジで勘弁して」と言われたのを覚えています。

わたし、あんなに嫌われてたのにさらに嫌われることするとか、どんだけたくましかったんだろうか。



そして、大学に進学し、生まれて初めての彼氏が出来ました。

彼は確かわたしより7歳か8歳上で、ホームレスでした。

そして付き合い始めて3ヵ月後に、地元に隠し子がいることを打ち明けられたにもかかわらず、ずるずると1年半ほど付き合っていました。

その人も過去にバンド活動をしていて、ドラムをやっていました。



その後も妙に乱れた恋愛をあれこれと経て、大学4年生のときに、かなりイケメンの九州男児と付き合いました。

確か彼とは17歳離れていたのですが、見た目もとても若くマッチョで、そんなに年が離れているようには見えませんでした。

ちょっと性格に癖のある人で、一緒にいて嫌な思いをすることもしばしば。

酔っ払ったときにわたしの当時の同僚の彼氏に暴言を吐いてドン引きしました。

半同棲生活を送り、やはり1年半ほど付き合いましたが、結局「1人でいた方が楽しいわ」と思うようになり、別れてしまいました。

その人も趣味でドラムをやっていました。



そしてそれから2年後・・・

ポーランドでドラマーのZに出会い・・・

つくづくドラマーの人に妙な縁があって気持ち悪いなと、この事実に気付いた時はゾッとしました。

そういえば、わたしが小学生の時に音楽に目覚めたとき、好きで好きで仕方なかったバンドのメンバーもドラマーでした。

何か怖い、怖すぎる。



気に入ったらクリックして応援してね

にほんブログ村 恋愛ブログ 国際恋愛(ヨーロッパ人)へ
にほんブログ村


posted by ざれうすか at 17:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする